遺族に対する誤解

昨日、被害者支援について考えている弁護士の団体の研修会に参加してきました。
弁護士としては、当然のことながらいろいろ考えさせられ、被害者をどのように法的に支援していくべきか、検討していかなければならないことも多いなと感じました。

その中で、自死遺族として、「ああ、ここにも同じような誤解が・・・」と思ったことがありました・・・

その事件は、交通事故で人を死亡させた刑事事件でした。
危険運転致死を含め、故意の犯罪行為により人を死傷させた罪や性被害の事件などであれば、被害者は刑事裁判に参加することができます。
その事件では、亡くなられた方の親が、悲しくてつらいけれども、裁判に参加しようと考え、弁護士に依頼し参加されたそうです。
私も、被害者参加事件の代理人弁護士となったことがあるのですが、
被害者参加の弁護士の場合は、被告人を弁護する弁護人とは反対側の席、検察官側の席に検察官の隣に座って、
検察官と共に協力し合って、裁判に参加します。弁護人とは敵対する立場で、被害者のために、被告人に質問したり、被害者論告などを行います。

さて、その事件、担当の裁判官が裁判を1回で結審すると言ったそうなのです。

重大事件であっても、すべて認めている場合などであれば、1回結審もあり得ることですが、
被害者側の遺族としては、最愛の子が亡くなったのに、1回で裁判が終わってしまうことはあんまりだと感じられたとのこと。

結局、弁護士の頑張りで裁判は1回では終わらなかったそうですが、
裁判官が1回で裁判を終わらせようとしたことには、裁判官なりの配慮(これが大きな誤解)があったそうなのです。

その裁判官は、「最愛の子どもを亡くして、どんなに親はつらいと思っていることでしょう。これ以上つらい思いをさせないために、早く裁判を終わらせてあげなければ・・・」と考えられたそうです。

この裁判官の頭の中には、きっと、「早く終わらせてあげて、事件のことをもう考えないようにさせてあげたい」との思いがあったのではないでしょうか。

でも、遺族には、事件のことを考えなくなる日なんて、多分当分の間・・・
もしかしたらずっと・・・やってこないと思います。
ずっと何年も、何十年も、毎日毎日、亡くなった子どものことや事件のことを考えている遺族の方が多いと思います。

忘れることなんてできない・・・
事件を早く終わらせることなんてできない・・・
だって、裁判が終わっても、遺族の中では事件は終わっていないのですから・・・

自死遺族の方も、その終わらない気持ちは同じです。
最愛の人が自死したのはなぜだろう・・・
なぜ、あのとき、こんなことに・・・
ずっとずっと考え続けると思うのです。

その気持ちは、変えられない、変わらない気持ち。
だって、愛しい人なんですから・・・

先日、ある遺族の方がこう言っていました。
ある人からの電話がうれしくて、思わず元気な声を出したら、「お声が少し元気になられましたね」と言われ、傷ついたと。
みなさんには、どうして傷つくのかわかりますか。

遺族の方は、亡くなった最愛の人のために、懸命に元気でいようと頑張っています。
仕事先でも、心配かけまいと頑張っています。
外見上は、元気になっているように見えても、内面は変わらない悲しみや苦しみを抱えたままなのです。

下手な励ましや慰めは、逆に遺族を苦しめます。
それをするくらいなら、むしろ放っておいてほしいとさえ思います。
だから、人にも会いたくないと引きこもる遺族の方も多いのだと思います。

このような誤解は、きっと多いと思います。
誤解することのないよう、一人一人の遺族に向き合って、その人とじっくり話をしてほしいと思います。
何度も言っていますが、遺族の方の思いや状況は人それぞれです。

マニュアルなどはありません。
一人一人違うのです。