おかしいと思う感覚

自殺対策を推進する議員の会が、自殺対策基本法の改正に関する意見募集をしているようです。

今日が締切り・・・
http://www.suicidepreventiongiren.com/#!——/c24vq

いろんな意見を広く聴いていただいて、いろいろ考え検討してほしいと思います。

でも、こんなところにパブコメがあるってある人から聞かなかったら、知らなかったな・・・
そんな議員の会があることさえも・・・
遺族のために本気で考えてくれているのだろうか。

いやいや、こういう議員の会があって、パブコメを募集してくれるだけでもありがたいと思うべきなのかな。
う~ん・・・たしかに、ないよりかはあった方がいい。
でも、ちゃんと遺族からの意見、聴いてくれるかな・・・
そもそも、ここでも「自殺対策」という記載で、「自死対策」とはしてくれていないし・・・
言葉の表記を見ただけで、遺族への関心の低さが窺われるような・・・

だって、少なくとも、遺族や支援者の多くの方々が、「自死」という言葉をできるだけ使ってくれるし、
牧師さん、臨床心理士さん、私の知り合いの弁護士さん、私の知り合いも、

「遺族の方を傷つけるなら、自死という言葉を使うよ」

と、自然に当たり前のように言ってくれる。
それだけでうれしいし、気遣いを感じる。
言葉って大切ですよね。

そう思っている私からすれば、「自殺対策」という言葉を見ただけで、う~んと考えてしまう。
いろいろ意見を書こうかと考えたけど、言葉のことを説明するだけでも骨が折れそうな感じがする。
議員さんよりも、一般の人の方がわかってくれそうって思う。
だって、傷つくことはしたくないって素直に思ってくれるから。

「自殺」と「自死」の言葉の論争って、難しく考えれば考えるほど、よくわからなくなる。
シンプルに考えるのが一番!

弁護士の仕事をしていると、なんだか複雑な考えをして、自分で自分をより苦しめている人に出会うことがあるけど、
「あなたはどうしたいの?」
って聞くと、意外とすっきりと解決の糸口が見えてくる。

本来、弁護士は、複雑な問題を整理し、解きほぐし、よりよい解決を目指すための代理人。
物事をより複雑化してはいけないはず。

私も、本音を言うなら、「自死」という言葉さえ好きじゃない・・・

うつ病という病にかかり、病のせいで自死しただけなのに、なぜ普通の死ではないように言われなければならないの?

いじめられて殴られて病院で亡くなった人と、
いじめられてうつ状態になり首を吊った人と、一体何が違うの?

仕事が過重で心筋梗塞で亡くなった人と、
仕事が過重でうつ状態になり列車に飛び込んだ人と、一体何が違うの?

手段が違うだけ・・・
死に至る原因は同じだし、
本人の苦しみに優劣の差なんてない。

なのに、自死遺族だけが、首吊りの場所の家主さんから、鉄道会社から損害賠償請求される。
そんなのおかしい。

法的には、心理的瑕疵に基づく損害賠償請求ということになるけど、
なぜ、自死という手段が入ると、心理的瑕疵が生じるの?
ちゃんと考えたら、おかしいと思うべき!
こういう問題が、自死遺族には多い。

もっといろんな人にこの問題を知ってもらって、何かおかしいという感覚を持ってほしい。
それが私の願い。
そのためには、私ももっとこの問題を広く訴えていかないといけない・・・

よりわかりやすく、説明したいな。
いろんな人に知ってもらって、いろいろ感じて考えてもらうために。
そして、おかしいと感じたことをぜひ教えてほしい。

弁護士とか議員とか専門家よりも、きっとあなたのその感じ方の方が自然な気がするから。

自殺と自死

皆さんは、「自死」という言葉を知っていますか?

このブログを読んでくれている人は、多分知っている人がほとんどだと思います。
でも、一般の人は知らない人が多いですよね。

私も、「自死」という言葉を知ったのは、弁護士になってから・・・
自死遺族という言葉はもう少し早くに知っていましたが・・・
ずっと長い間、遺族の私でさえ、「自殺」という言葉しか知りませんでした。

最初、「自死」という言葉を知ったとき、「殺」という言葉がないので、純粋に「自死」という言葉の方がいいなと思いました。
でも、「自殺」と「自死」という言葉をめぐって、いろんな意見があると知り、どちらがいいとはなかなか判断できずに来ました。

でも、今は、
少なくとも「自死」という言葉を使おう!
と思っています。

いや、本音を言うと、「自死」という言葉を使うのさえ、避けたい。
自死した人は、がんばってがばんばって、でもどうしようもなくて死んでしまった・・・
病死と何が違う?特別な言葉を使わなくてはいけない?

そう思ったので、私は、自死遺族の方と話すときは、できるだけ「自死」という言葉を使わず、普通の死とわけ隔てないように、「亡くなられた原因にお心当たりはありますか」などと話すことにしよう!

そう思っています。

たしかに、言葉を変えただけでは、「自死」をめぐる偏見などの問題が解消することはないと思います。
でも、「自死」についての理解を広めることにはつながるとは思うのです。

そして、何よりも大切なことは、自死遺族の方への配慮になるということです。
言葉は、相手に事柄や思いなどを伝えるための手段であり、言葉には人に対する配慮が込められていると思うのです。
 日本語には、敬語があり、人に対する配慮が込められています。
人への配慮、言葉を使う上で、とても大切なことではないでしょうか。

「自殺」と「自死」という言葉をめぐって、様々な意見の相違があります。議論があります。

でも、どんなことを主張したとしても、
自死遺族の方への配慮から「自死」を使う
この考えに、真っ向から反対することはできるのでしょうか。

そして、自死は、なぜ起きてしまうのでしょうか。

よく考えて、もっとよく考えて、「自殺」と「自死」の言葉について考えてほしいと思います。

自殺予防の自殺と自死

まず、はじめに、自殺予防・・・

ここでは、自殺という言葉を使うことをご了承ください・・・

自殺という言葉を自死遺族を傷つけるということは、よくわかっているつもり・・・
また自殺に対する偏見もなくならない・・・
だから、自死=追い込まれた末の死という言葉をに置き換えるべきという考え方も理解できます。
でも、一方で、自殺予防は緊急課題、自殺予防を広めていくためには、まだ自殺という言葉を使っていたいという考え方も、一定の理解はできます

言葉の持つ意味は、使う人によって、また使う側と聞く側とで異なったりもします・・・
私は、まだ自分の考えをまとめることができないため、今のところ、場面によって、言葉を使い分けるようにしています。

言葉はとても大切であると思っています。
だから、慎重に考えたい。

でも、自殺と自死の言葉があり、自殺という言葉には、使い方によって問題があり、できれば自殺という言葉を使わず、自死という言葉を使うべきとは言いたいです。

自死という言葉が広まれば、この自殺と自死の言葉をめぐる問題も少しは解決する部分はあるのではないかと思っています。

と考えれば、できるだけ自死という言葉を使うべきなんですよね・・・

でも、先日の自殺予防の講演の時には、自殺という言葉を使いましたが・・・やっぱり、言葉の問題も指摘して進めるべきなのかな・・・たしかに、あえて、自死という言葉を使うようにすべきなのかも・・・いろいろ悩み、考えながら、がんばります!

何でも、日々勉強!いろんな人の意見を聞いて、また考えを深めていきます!

そして、その後、私は、
「自死」という言葉を使うべきと考えるようになりました。
そう、遺族を傷つける言葉「自殺」は使うべきではないということ、
自死遺族に対し、できるかぎりの配慮をするためです。

言葉は配慮の文化。
難しい議論なんて、必要なんですよね、
そう思いませんか?