自死遺族の方と一言で言っても、いろんな方がいる。
私と話すことで、ほっとしてくれる方もいる。
私とつながって、ずっとつながっていたいと言ってくれる方もいる。
その一方で、そっとしておいてほしいという方もいる。
きっと、そっとしておいてほしいという方が多いんだろうなと思う。
できれば、つらいことは思い出したくないし、考えたくない。
その気持ちはよくわかる。
自死と分かれば、周りの対応が変わったり、いろいろ言われたりするんじゃないかとこわくなる・・・
大切な人を失った悲しみだけではなく、いろんな心配をしたり、考えたり、悩む・・・
このままでは、自分がだめになってしまう・・・
よし、後ろを振り返らず、前を向いて頑張ろうと歯を食いしばる。
そんな遺族もいる。
でもね、そんなにがんばらなくていいのに・・・
自分をそんなに責めないで、がんばりすぎないでと思う。
そう思いながらも、その人の前を向きたい気持ちは大切にしてあげたいから・・・
そんなときは、私はそっと離れて、またいつでも相談していいからと伝えて、待っていることにする。
私にできることは、そっと見守り、そっと支えることくらいだから・・・
と言いながら、じっと待つ方が私にはつらい。
遺族の方々とつながって、本当にいろんな考え方があるんだとわかって、その人の思いを大切にしたいと思ったら・・・
メールしてもいいのかな、私のメールが負担にならないかな、私が傷つけたりしていないかな、なんて、いろいろ悩んでしまう。
でも、それは、私に相談して来られる方も同じなんですよね・・・
きっと悩んで悩んだ末にメールや電話してきているんだろうなと思う。
人への気遣い・・・それは、人を理解したい、人を大切にしたいという思いから始まる。
遺族の方々は、つらく悲しい経験をしているからこそ、より人を大切にしたいと思うところがある。
遺族の方々とメールや電話などで会話をするたびに、遺族の方々の優しい気遣いに触れ、私まであたたかい気持ちになれることが多い。
中には、必要以上に気遣いをされる方もいて、そこまで謝ったり気遣いされなくてもいいのにと思う方さえいるくらいだ。
私は、あなたほど、気遣いできているのだろうか。あなたを傷つけたりしていないだろうか。
自死遺族といっても、本当にいろんな人がいる。
支援してくれる方には、
「いろんな人がいるのだから、こうだと決めつけないで、どうかその人をよく見て、よく話を聞いて、よく考えて対応してほしい」
と切に願う。
自死遺族への対応に、マニュアルなんてない。
大切なことは、その人が何を望んでいるのかをしっかり見極めること。
つながっていたいと思ってくれているようなら、つながり続ける。
何か手助けしてほしいと望んでいるようなら、適切な支援先へとつなげる。
今はそっとしてほしいんだろうなと気付いたら、そっと見守る、待つ。
そうありたいし、そうしてほしい。
佃先生へ
こんにちは。お彼岸に娘の友人が県外から会いに来てくれました。一人は今月末で転勤、仕事をしながら引越しの準備をしなければならない忙しい中来てくれ、一人は午前中仕事を終えてから。食事をしてそのまま帰すのは申し訳なく、田舎で何もない所、私も行ったことのない娘が子供のころ私の父と行った鍾乳洞に行ってみました。ヘルメットを被り探検隊のように洞窟を歩きました。久々に笑った。でも彼女たちが帰った後、来る前より寂しく、辛くなった。やはり私は楽しい事をしてはいけないんだなと思いました。
楽しいことをしてはいけないなんてこと、ないですよ。ただ、今は、楽しいことが楽しく感じられないことがあったり、笑うとつらくなることもあると思います・・・むしろ、そんな中、自分のことよりも来てくれた人を大切に思うところがすごいな、kanaさんらしいです。もっと自分のことを考えていいのに・・・自分を大切にしていいのに・・・