いろいろ考えてほしい

7月9日土曜日、広島市で講演「私は生きたい!」を行いました。
貴重なお休みの日、有料での講演(熊本チャリティー講演のため寄付)ということもあり、
どのくらいの方に来ていただけるのか・・・不安でしたが・・・

主催者の迫田先生をはじめ、広島県外からの参加者もあり、
多くの方々にご参加いただき、本当にどうもありがとうございました。
4時半から6時までの予定だったのですが、私が勘違いをして、
6時半まで話をしてしまいましたが・・・
最後まで聴いていただき、またその後も意見交換などに残ってくださり、とてもうれしかったです。

意見交換の場では、もっと多くの方とお話しできればよかったのですが・・・
お話ができなかった方、ごめんなさい・・・
もしよろしければ、メールなどでもいいですから、ご連絡いただければうれしいです。

皆さんの感想で、一番うれしい言葉は、
「いろいろ考えさせられました」
という言葉。

私も、みなさんに、いろいろ考えてほしいので、
そう言ってもらえると、ほんとにうれしいです。

自死遺族と言っても、立場や状況も人それぞれ。
それでも、自死遺族の方にもそう言ってもらえると、
ほんとにうれしかったです。
「先生の話を聴いてよかった・・・」
きっと、私の体験談は、聴くのもつらかったでしょうに・・・

自死遺族ではない方にも、
「いろいろ考えさせられました」
「来てよかった・・・」
「何かきっかけがほしかった・・・」
などなど。
私の講演を聴いて、何かを考えるきっかけになれたのなら、ほんとにうれしい・・・

もちろん、自死問題や自死遺族支援についても考えてほしい。
でも、まずは、自分の問題と結びつけて、いろいろ考えてほしい。
自分の問題と結びつけて考えることが大切だから。
そう、自死は、自分や家族、誰にでも起こることだから・・・

絶対に自死しないと言える人はいない。
私の主人は、強くて頑張り屋さんで、自死するなんて考えたことはなかった。
私も、今こうして弁護士として多くの事件で戦っているが、
手首に包丁を当てたことがある・・・

自死は、その人の資質の問題ではない、
自死に至るほど、追い詰められるほどの理由がある。
どんなに強くても、人は、追い詰められれば、自死してしまう可能性がある。

「同じ職場で、○○さんだけが死んだんだから、会社に責任はない」
などと言う人がいる。
なるほど、長時間労働をしても、自死する人としない人がいる。
だから、自死する人に問題があると考えてしまうの???
それは、違う。
自死する人に問題があるのではなく、
自死しな人はギリギリのところで我慢しているだけだし、
自死する人がしない人よりもより多くのストレスにさらされていたから。
自死する人に問題があるんじゃない。
自死する人に問題があるというのは、
会社や周りの人が自分の責任から逃れるために使う言葉。

自死した人に何が起こったのか調査していくと、
その職場や学校でも何かしらの異変がある。
同じ職場の中で辞める人がいたりする。

「○○さんが自死したから、他の人も自死しそうだよ」
「ちゃんと調査して、環境を改善していこう」
そう考えてほしい。
そう考えてくれなければ、自死はなくならない。

幸い、今のところ、自死者は減少傾向にある。
でも、毎年2万人以上もの人が自死で亡くなっていて、
自死遺族はその倍以上も増えているはず。

先日の講演でも、どの講演でも、
「実は、私も自死遺族なんです」
と話をしてくれる遺族の方がいる。
きっと、自死遺族であると誰にも打ち明けないで生活している遺族は多い。

そして、今日もまた、私のもとに、自死遺族の方から相談が寄せられている。
「未だに納得がいきません」

自死遺族への説明責任も果たしてほしいと切に願う。

ねむの木と共に・・・

今日は、ある女の子を紹介させてください。

その女の子は、夢も希望もたくさん持っていました。
勉強を頑張って、大学、大学院を卒業して、やりたい仕事にも就きました。
そして、女の子は、来る日も来る日も、自分を頼ってくる人たちの力になろうと、懸命に仕事に励みました。

そんなある日、女の子に異変が生じます。
「疲れた・・・仕事に行きたくない・・・」

その女の子は、上司からのパワハラに悩み苦しみ、うつ病になりました・・・

それでも、女の子は・・・がんばり続けました・・・

「笑顔!
 笑顔!笑顔!
 たとえ体調が悪くても、笑顔でいよう!
 無理のない程度に。

 今日もうちのお花たちは笑顔!
 私も負けないようにがんばろ!」

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今、写真のねむの木は、ご両親の愛情を受け、すくすくと育っています。
でも、ねむの木と共にがんばり続けた女の子はもういない・・・

ねむの木は、夜になると、そっと葉を休ませます。
もう、ゆっくり休んでね・・・
ねむの木に包まれて、穏やかに・・・

みなさんには、ほんとに、よく考えてほしい・・・
周りの人を不用意に傷つけていないだろうかと、
もし傷つけたら、ちゃんと心から謝まってくださいね。

弱いから、傷つきやすいのではないですよ、
ひどいことを言ったりしなければ、傷つかないのですよ、
受け止める側の問題ではなく、する側の問題なのです。
受け止める側の問題にしたいのは、
する側が自分が悪いと認めたくないから、
する側が自分を正当化するために、
そう言っているのです。

女の子は、上司からパワハラを受けても、
「絶対負けない!」
と、ほんとにがんばったんです!
弱くなんかない、
たった一人で、何十倍もの力ある相手と戦って力尽きた・・・
ずっと笑顔を絶やさずに・・・

私は、その女の子を尊敬しています。

マニュアルの弊害

マニュアル・・・○○のためのマニュアル・・・マニュアルマニュアル、
巷に溢れている。
自死予防のためのゲートキーパーの相談対応マニュアル。
遺族に対する相談対応マニュアル。
マニュアルの中で、心構えの他、言ってはいけない言葉と言ってもよい言葉の例などが記載されている。
悪い例と良い例が記載されているものもある。
悪い例は、ほんとに悪い例。
良い例は、ほとんどこんなふうにうまくいかないだろうっていう例。
読んで、参考程度にはなるかもしれない。
でも、このマニュアルのとおりにすれば、それで大丈夫というものではない!

マニュアルが大切にされるのは、よくわかる。
誰だって、できればマニュアルがほしいと思う。
新人や経験の少ない人にとっては、マニュアルは必要だろうとも思う。
でも、よく考えてほしい。
マニュアルは、一体誰のためのもの?
相談者のため?それとも相談員のため???
マニュアルは、誤った相談対応で相談者が余計に苦しむのを防ぎ、適切な対応をするためのものであるから、相談者のためのもの?
それとも、マニュアル通りにしていればいいのだから、相談員のためのもの?
本来であれば、相談者のためであり、相談員のためであるはず。
でも、私からすれば、相談員のためのマニュアルになっている気がしてならない。
少なくとも、マニュアルを使って対応するのは相談員。
相談員が、マニュアル通りにすればいいと思って使えば、マニュアルは百害あって一利なし。

ある遺族の悲痛な訴え。
「先生、最近は、私にがんばれと言う人はいないけど、私に、亡くなった娘の分まで生きなさいっていう人は多い。そんなマニュアルがあるのかって思うくらい・・・」
この方は、まだ未成年の娘さんを亡くされた方。
「私が、娘の分まで生きれるわけないじゃない」
「一体、私はいつまで生きていたら、娘のところに行けるの?」
「こんなに苦しいのに、一体いつまで生きなきゃいけないの?」
「教えて、先生・・・」
私のもとに相談に来られる遺族の方は、マニュアルでは対応できない。
返す言葉が見つからないことも多い。
「ごめんなさい・・・私にもわからない・・・」
返す言葉が見つからず、こう答えることもある。
きっと、私の言葉はマニュアルにない言葉だし、私の中にもマニュアルはない。
真剣に話を聴いて、真剣に考えて、真剣に言葉を返す。
それが、私のすべきこと。

「先生、もう(亡くなった)妻のもとに行きたい」と言われる遺族の方。
「まだ行かないで・・・お願いだから」と懸命に止めようとする私。
どうしたら、力になれるのか・・・悩みながら、何とかしたいと考える。
もっと話を聴いて、何とかしたい。
できる限りのことはしたい。

マニュアルなんて、ない。
その場限りの対応で、何とかなるものではない。
表面を着飾ったところで、そんなもの、すぐにわかってしまう。

大切なことは、どれだけ真剣に向き合えるのか、である。

それなのに、「マニュアル通りこう言っておけば大丈夫」というようにマニュアルが使われるのならば、マニュアルなんてない方がいい!
マニュアルは参考にするのはいいけれど、マニュアル通りにすればいいってものではない。
それなのに・・・
マニュアルが、一人歩きをし、相談者を傷つけている。

ある人がこう教えてくれた。
私の娘は、「絶対公務員にはならない!」「これ以上はするな、こうしてればそれでいい、他の人と同じようにしろ、とか・・・全然相談者のためになってない!おかしいよ」って言っていたと。
本当に、そのとおり!
一人ひとり、対応は異なる。そんなの当たり前。一人ひとり、悩みも考え方も違うのだから。
他の人と同じようにできはしない。
こうしていればすむ話でもない。
そう、相談対応に、本来マニュアルなんてものはない。
マニュアルに頼ってはいけない。
マニュアル通りにすれば、かえって相談者を傷つける。
なのに、マニュアルに頼りすぎている、相談現場。

マニュアル・・・マニュアル・・・マニュアル・・・
マニュアルで対応できないのに、それでもマニュアルに頼り、相談者を傷つける。

すでに傷つきボロボロの状態の相談者には、表面的な対応かどうかすぐにわかる。
この人は信頼できる人かどうか・・・
すがりつくような思いであなたを見ているから。

娘さんのように、気づいてほしい。
大切なことは、マニュアルじゃない、
相談者と真剣に向き合う、その心だと!
だから、その人のためにどうしたらいいのかと真剣に悩み、必要に応じて、今までとは違う対応もする。

すべては、目の前にいる相談者のために。

もっと、よく相談者を見て、
相談者のために、考えて。
そう、切に願う。

思いは伝わる

3月は、自死に関する講演を2回させていただきました。
自死の問題に関心を持ってくださる方、支援してくださる方がいて、初めてできる講演。

ああ、一人じゃない・・・
こんなに、自死の問題に心を寄せてくれる人がいる・・・
本当にありがとう・・・

私の講演には、いつも、自死遺族の方々が聴きに来てくれる。
そして、最後に、私のところに、あいさつに来てくれる人もいる。
そう、きっと、大きな大きな勇気を振り絞って・・・

今回も、多くの自死遺族の方と話ができました。
「先生に会いたかった・・・」
「先生もつらいのに・・・よく話してくれました、ありがとうございます・・・」
「先生の講演を聞いて、私も、当時のことを思い出し、自分のことのように思って聴いていました・・・」
そんな言葉を聞くと、いつも熱いものがこみ上げてくる・・・
私に、力を運んでくれる。

ああ、がんばらなくては!

そして、支援する方からも、話しかけられる。
自死の問題、自死遺族の支援にも関心を寄せてくださるだけで、
私としては、とてもうれしい。心からの感謝。
でも、できれば、もっと関心を抱いて、もっと関わってほしい。
もっともっと、つい力が入ってしまう私。

そんな私に、支援する側の人がよく聞いてくる質問がある。

自死遺族の人を傷つけないようにするには、どうしたらいいですか

この質問は、講演の度に必ずと言っていいほど聞かれる質問。
この質問をしたい気持ちもよくわかる。
自死遺族の方を傷つけたくないからこその質問だから。
でもね・・・
私は、いつもこう答えている。

「自死遺族の人を傷つけない人はいないと思います。
自死遺族の私も、他の自死遺族の方を傷つけてしまうことはあると思っています。
それは、自死遺族の方はそれぞれ考えや状況も違うし、
感じ方が人それぞれですから、傷つけないようにしても、
傷つけてしまうことがあるからです。
 ただ、思いは伝わります。
 自死遺族の方を真剣に思う気持ち、それは伝わります
 その真剣な思いで、自死遺族の方に声をかけてください。

そう・・・自死遺族を傷つけなくて済む、そんなマニュアルなんてない・・・
自死遺族の方の多くは、十分すぎるほどに傷ついているから、人の言葉や表情に敏感になっていることが多い。
傷つきやすい人もいる。

小手先ですむ支援なら、むしろしないでほしい。
きっと、そんな支援は、自死遺族を傷つけるだけだから・・・

思いが一番大切。
その人を心から思う気持ちは伝わる。
だから、自死遺族の方と向き合うときは、真剣に。
どんな言葉をかけようかと悩み、
傷つけないようにどうしたらいいのか悩んで、
それから、かけた言葉や行動ならば、
たとえ、自死遺族の人を傷つけることになったとしても、
自死遺族の人の傷は大きく広がることはない。
そう、あなたのその思いは伝わるから。
あなたがその遺族の方を思う気持ちが本物であるなら、
いつか、あなたを信頼する時が来るはず。

私は、いつも心をさらけ出して、自死遺族の方と向き合うようにしている。

どうか、自死の問題に携わる方々、自死遺族の支援に尽力してくださる方々には、
自分のその思いを大切に、真剣に自死遺族の方と向き合ってほしい。
それが、自死遺族の方のためになるのだから。

伝えたい思い

今日も、ある自死遺族の方の話をさせていただきます。

今までもですが、自死遺族の方の中には、皆さんに知ってもらいたいという思いを抱いている方々がいます。
ただ、いろんな事情や思いから、なかなか自分から発信することができない・・・
でも、知ってもらいたい、伝えたい・・・

私も、そう願うご遺族の方々の思いに応えたい。

今回の話は、お姉さんを自死で亡くされた方のお話です。

お姉さんは、ある男性と結婚されました。
しばらくの間は、幸せな結婚生活を送っていたのですが、
ある日、夫から離婚を切り出され、夫は自宅を出て行ったそうです。
離婚の原因はよくわからないのですが、子どもを作るか作らないかで、夫婦の間で意見が分かれていたそうです。
夫は、弁護士に依頼し、離婚調停を申立てました。
そして、調停から裁判へと・・・
お姉さんは、理不尽な夫の言動に悩み、苦しみ・・・
そして・・・自死されました

夫からの様々な理不尽な対応やその両親からの心ない言葉・・・
詳しく書けないのですが・・・
その他にも、半年近くも婚姻費用も支払ってもらえず、経済的にも追いつめられるなど・・・
自死せざるを得ないような対応があったようです・・・

そして、さらに、ご遺族に追い打ちをかける出来事が起こります。

それは、お姉さんの元夫から依頼を受けた弁護士からの一枚のFAX・・・
まだ、子どもを自死で失くし、悲しみなどで茫然自失の状態の父に対し、
ある金額を提示したうえ、これで互いに債権債務なしという合意に応じるよう求めるものでした。

亡くなって2週間も経たない頃の話です。
それも、FAXって!??????
同じ弁護士として、恥ずかしい・・・
人として、このような対応はあまりにもひどい・・・

ご遺族である妹さんの言葉を紹介します。

☆私がさらに子どもを作るかどうか悩んでいたとき、
「私が子どもを産まなかったから、私の分までもう一人、
○○ちゃんにそっくりな女の子を産んでね~」
と姉が言ってくれました。
 だから悩みます。
 姉のために、自分の家族の幸せを考えて生きていくのか、
 でも、なぜ、姉が追い詰められて亡くならなければならなかったのか、
 そう思うと、悔しい気持ちになります。
 本当に無念でなりません☆

無念の思い・・・
毎日ぐるぐるの思い・・・
きっと、多くの遺族の方ならわかってくれる思い・・・

そして、強く思う。
もうこれ以上、遺族を傷つけないで・・・
お願いだから・・・

大切なつながりに感謝

自死遺族の方が、誰かに相談するためには、何か特別な力がいると思う。

今日、私のコラムのおかげで相談できたという連絡が来ました・・・ああ、よかった・・・
そして、本当にありがとう・・・

私とあなたとの間には、また一つ、大切なつながりができました。
kanaさんも、きっと亡くなった娘が繋いでくれた先生との大切なつながりと言ってくれました。
他の方々もそう言ってくれます・・・ほんとにありがとう・・・
私も、夫が繋いでくれた、大切なつながりと思っています。
だから、このつながりをとても大切にしていきたい。

でも、このつながりはなかなか広がらない・・・

私への連絡には、特別な力がいることだから・・・
同じ遺族の方ならわかる、
誰かに相談することがどれほど力のいることなのか。

何も考えられない・・・
誰にも会いたくない・・・
どこかに消えてしまいたい・・・

だから、連絡をくれた遺族の方には、いつもありがとうと伝える。

ここまでたどり着くのに、どれほど悩み苦しみんできたかと思うと・・・

それなのに、支援者の方々の多くは、
自死遺族向けの相談の案内をすれば、たくさん相談が来るかのように思ってる。
広報すれば、みんな来てくれるというものではない。
普通の法律相談の案内とは違う。

もっと、遺族の方々が置かれている状況を理解し、広報にも工夫してほしい。

いろんな思いを抱き、なかなか相談に来れない遺族のためには、どうしたらいいのか。
どうすれば、遺族の方々の力になれるのか。
真剣に考えてほしい。

そして、支援者の方には、遺族が相談しにくい状況を自分たちが作っているのではないかと自問自答してほしい。
常に、謙虚に・・・
遺族の話に耳を傾けてほしい。

話すこともできない遺族の思いを理解してほしい。

弁護士の仕事も同じ。
法律にいくら詳しくても、遺族の思いが理解できなければ、遺族のために力になれない。

大切なつながりは、私と遺族だけではなく、多くの支援の輪となって、広がってほしい。

安心して、遺族の方々が相談できるように・・・

遺族に対する誤解

昨日、被害者支援について考えている弁護士の団体の研修会に参加してきました。
弁護士としては、当然のことながらいろいろ考えさせられ、被害者をどのように法的に支援していくべきか、検討していかなければならないことも多いなと感じました。

その中で、自死遺族として、「ああ、ここにも同じような誤解が・・・」と思ったことがありました・・・

その事件は、交通事故で人を死亡させた刑事事件でした。
危険運転致死を含め、故意の犯罪行為により人を死傷させた罪や性被害の事件などであれば、被害者は刑事裁判に参加することができます。
その事件では、亡くなられた方の親が、悲しくてつらいけれども、裁判に参加しようと考え、弁護士に依頼し参加されたそうです。
私も、被害者参加事件の代理人弁護士となったことがあるのですが、
被害者参加の弁護士の場合は、被告人を弁護する弁護人とは反対側の席、検察官側の席に検察官の隣に座って、
検察官と共に協力し合って、裁判に参加します。弁護人とは敵対する立場で、被害者のために、被告人に質問したり、被害者論告などを行います。

さて、その事件、担当の裁判官が裁判を1回で結審すると言ったそうなのです。

重大事件であっても、すべて認めている場合などであれば、1回結審もあり得ることですが、
被害者側の遺族としては、最愛の子が亡くなったのに、1回で裁判が終わってしまうことはあんまりだと感じられたとのこと。

結局、弁護士の頑張りで裁判は1回では終わらなかったそうですが、
裁判官が1回で裁判を終わらせようとしたことには、裁判官なりの配慮(これが大きな誤解)があったそうなのです。

その裁判官は、「最愛の子どもを亡くして、どんなに親はつらいと思っていることでしょう。これ以上つらい思いをさせないために、早く裁判を終わらせてあげなければ・・・」と考えられたそうです。

この裁判官の頭の中には、きっと、「早く終わらせてあげて、事件のことをもう考えないようにさせてあげたい」との思いがあったのではないでしょうか。

でも、遺族には、事件のことを考えなくなる日なんて、多分当分の間・・・
もしかしたらずっと・・・やってこないと思います。
ずっと何年も、何十年も、毎日毎日、亡くなった子どものことや事件のことを考えている遺族の方が多いと思います。

忘れることなんてできない・・・
事件を早く終わらせることなんてできない・・・
だって、裁判が終わっても、遺族の中では事件は終わっていないのですから・・・

自死遺族の方も、その終わらない気持ちは同じです。
最愛の人が自死したのはなぜだろう・・・
なぜ、あのとき、こんなことに・・・
ずっとずっと考え続けると思うのです。

その気持ちは、変えられない、変わらない気持ち。
だって、愛しい人なんですから・・・

先日、ある遺族の方がこう言っていました。
ある人からの電話がうれしくて、思わず元気な声を出したら、「お声が少し元気になられましたね」と言われ、傷ついたと。
みなさんには、どうして傷つくのかわかりますか。

遺族の方は、亡くなった最愛の人のために、懸命に元気でいようと頑張っています。
仕事先でも、心配かけまいと頑張っています。
外見上は、元気になっているように見えても、内面は変わらない悲しみや苦しみを抱えたままなのです。

下手な励ましや慰めは、逆に遺族を苦しめます。
それをするくらいなら、むしろ放っておいてほしいとさえ思います。
だから、人にも会いたくないと引きこもる遺族の方も多いのだと思います。

このような誤解は、きっと多いと思います。
誤解することのないよう、一人一人の遺族に向き合って、その人とじっくり話をしてほしいと思います。
何度も言っていますが、遺族の方の思いや状況は人それぞれです。

マニュアルなどはありません。
一人一人違うのです。

ちょっと考えてみて

ちょっと考えてみてください。

少し配慮してくれるだけでいい。

子を亡くした親に対し、子どもの写真や動画を見せたら、どう思うか少し考えてください。

ちょっとした気遣いはとても大切・・・

そういう私も、適切な気遣いができているかと聞かれたら、自信はないけれど・・・
でも、どうかなと思ったら、話すことも考える。

もし、相手を傷つけてしまったかなと思ったら、ごめんなさいと心から謝る。

傷つけないことがベストだけど、私だって、きっと人を傷つけることはあるはず・・・
今傷つけてしまったかなと思ったら、謝るしかない・・・本当に申し訳ないけれど・・・
そして、もう同じことはしないようにする。

それだけでも、人をできるだけ傷つけなくてすむと思う。

私は、自分がこんなことになるまで、たしかに、配慮が足りない人間だった・・・
子どもがなかなかできない友達に、子どもの写真入りの年賀状を送る。その人の状況をよく考えもせず、無邪気に話す。相手の気持ちを考えることなく、配慮なども考えることがほとんどなかった・・・

だから、私は、夫を亡くした時に、ある人(私より数か月前に夫を亡くしていた人)から、

「私の気持ちがよくわかったでしょ」

と言われる羽目に・・・そのときは、返す言葉もなかった・・・
今思えば、その人は、そう言わざるを得ないくらい、私に傷つけられたのだろうと思う。
あなたを傷つけていたことに、気づかなかった・・・
本当にごめんなさい。

誰だって人を傷つけたくないはず。
でも、知らず知らずのうちに、人を傷つけてしまう。

傷つけられる方は、知らず知らずに何度も傷つけられるわけだから、耐えられないほどに傷つく・・・

知らないって、本当は一番怖いことなのかもしれない。

私も、まだまだ知らないことが多い。

これからも少しずついろんなことを学んでいきたい。

みんな生きたい!

誰だって、死にたくない

生きていたい・・・

私の夫もそう思っていたはずだ
だって、死にたくないと思っていたからこそ、あの気丈な夫はベッドの中で震えていたのだ・・・
きっと死にたくないと思い、たった一人で死の恐怖と闘っていた・・・
どんなに怖くてつらかっただろうか・・・

きっと、何かがあって、生きる力を失ってしまう・・・
その原因は、人それぞれ、きっと十人十色
人は強く見えても、弱いところがある
死が怖いはずなのに、「もう、死ぬしかない」と思ってしまう
それほどに追いつめられていたのだ
それほどまでに苦しんでいたんだ・・・

そう思うからこそ、遺族は苦しみ、後悔する

愛するあの人は、きっと生きたかったはず・・・
それなのに、私たちは、生きたいと願うあの人を助けてあげられなかった・・・
あの人の苦しみをわかってあげられなかった・・・
一番、愛してやまない人なのに・・・
でも、もう戻らない・・・
せめて、あの人に何があったのか知りたい
なぜ、こんなことになったのか知りたい

そう思う遺族の人は多い

どうか、「自死する人の命がほしい」なんて言わないで・・・

自死した人も、生きたかった・・・死にたくはなかったの・・・
あなたと同じように、生きたかったの
でも、生きる気力を奪われてしまった
そんなことがなければ、今も生きていた
まだ生きたかったんだよ

kanaさんも言っているように、遺族は私たちで終わりにしてほしい
もうこれ以上、自死させないで
悲しみを増やさないで
自死した人を責めないで

もっと、その原因を調査して、原因を取り除く努力をしなければならないはず

ありがとうとお願い

読んでくれているあなたに感謝とお願い

最近、このブログを読んでくれている人が増えている。

ブログにコメントをくれる人もいて、正直うれしい。

自死遺族は多いけど、なかなか声を上げられないし、毎日生きていくことがやっとの状態・・・
「まさか」と思うようなことが起こってしまったのである。
突然大切な人を失い、悲しみや後悔に苛まれ、心も体もぼろぼろになっている・・・

それでも、何とかしたい、
私と話をしてみたいと私に連絡をくれたり、
このブログを読んでくれている。
そうやって、多くの人から元気をもらっている私・・・
本当にありがとう。

悲しみは決してなくならないけれど、後悔や悲しみが愛おしく感じられるようになった・・・
私は、夫を愛していた、ここまで苦しくなるほどに・・・
だから、どんなに苦しくても、それは私が本気で愛していたからこその証。
そう思ったら、この後悔や悲しみもすべては愛おしい・・・
8年も経って、ようやく、この持って行きようのない気持ちが愛おしく感じることができる。
こう思えるようになったのは、私の友人たち、このブログを読んでくれているみんなのおかげ・・・
本当にありがとう。

そして、自死を予防することに尽力したいと思ってくれる人、自死遺族を支援したいと思ってくれる人、そんな人たちにも感謝しています。
ありがとう・・・

自死は、自死する人個人の問題ではない。
何か原因があるから、自死に追い込まれてしまう・・・
その原因がなければ、その人は今も変わらず、生きている。
それまで、その人は生きてきたのだから、何もなければ、そのまま生きていたはず。
本当に死にたいと思う人はいない、私はそう思っている。
その人が生きていける環境を整えることができたなら、その人は生き続けることができる。

いろんな遺族の話を聞くたびに、私は思う。

どうして、この社会は、こんなにがんばる、こんなに優しい人を自死させてしまうのだろうか・・・

職場の中で、学校の中で、その人が苦しんでいたことをわかっていた人は多いはず・・・
なぜ、放っておくの?
自己啓発セミナーや心のケアや病院に行くように勧めて、放っておく・・・
身近な人は他に原因があることを知りながら、その人の問題と決めつけ、心の専門家に任せておしまいにしようとする・・・
苦しんでいる人がおかしいのではない、苦しませている側の人が変わるべきなのに・・・
だから、自死がなくならない。

未遂が何度も繰り返される・・・
心のケアは対処療法でしかなく、自死させるほどの原因を取り除く努力をしなければ、その人の苦しみは増すばかり。
どうして、それに気づかないのだろうか。
気づいていながらも、見て見ぬふりをしているのだろうか。

自死の予防に携わる人には、もっとその原因を取り除くことを考えてほしい。
その原因を取り除く努力をしなければ、また自死する人が出てしまう・・・

人一人が亡くなっているのだ、
生きたかった人が自分で死ぬことがどれだけつらいことか、考えてほしい。
一人一人が自死について考え直し、自死する原因を調査し、その原因を取り除く努力をしなければ、自死する人はなくならない・・・