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 自死遺族であり、弁護士であり、4人の母として、自死遺族を取り巻く問題について、気になったことを書いています。

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講演を終えてー

今回は、岩手県の一関市で講演をさせていただきました。

約160名という多くの方々にご来場いただき、本当にどうもありがとうございました!

ご来場者の中には、自死遺族の方もいらっしゃいました。

いつも思うんです、

私の話は、自死遺族の方にはつらいんじゃないかなって・・・

だって、私の話を聴いたら、きっと、あのつらい体験を思い出してしまうから・・・

つらい思いをさせて、ごめんなさい。

できれば、思い出したくない、

うそであってほしい、

私だって、何度目が覚めても、あの日が間違いであってほしいと。

間違いじゃないなら、目を覚ましたくない、

認めたくない、

受け入れられない、

苦しいし、悲しいし、もうぐちゃぐちゃ・・・

私は、ずっと、主人の死を受け入れられなかった。

今は、主人の死を受け入れられていると思う、多分。

今の私は、主人の思いをここに抱いているから。

悲しみと愛おしさと、いろんな思いを込めて・・・

でも、自死遺族の方の思いは、人それぞれ。

私と同じ思いをしている人もいるけど、違う人もいる。

100人いれば、100とおりの想いがある。

私の講演を聴いて、いろいろ感じてくれたり、考えてくれたらいいなと。

消えない悲しみとつらさ、でも、愛おしく感じられる自責の想い。

 

また、10月、11月、12月と、講演が続きますが、

「自死は追い込まれた末の死」であり、自死遺族の思いを少しでも伝えることができるよう、がんばります。

弁護士としてではなく、自死遺族として、経験や思いを語ることは今でも正直怖いです。

でも、私のことを理解してくれる人や、活動を応援してくれる人がいてくれるから・・・

いつも支えてくれてありがとうございます。

そして、支援者の方にお願いがあります。

いろんな自死遺族の方がいて、思いも人それぞれであることを理解してください。

研修を否定はしませんが、マニュアルなどに捕らわれず、目の前の自死遺族の方をよく見て、よく話を聴いて、気持ちを込めて声をかけてください。

形だけの言葉は、むしろ傷つけます。

言葉だけで癒されることはほとんどないと思います。

言葉に伴うあなたの気持ちで癒されることはあっても・・・

そして、私も含め、弁護士などの専門家にも知っていただきたいことがあります。

どんな聴き取りなどの技術を身に付けたとしても、

自死遺族の方から話を聴くということだけで、傷つけてしまっているということを。

だから、話を聴いた後のケアをしてくださいね。

専門家ほど、実は、自死遺族の方を傷つけやすいのですから・・・

私も、日々反省しています。

 

 

いろいろ考えてほしい

7月9日土曜日、広島市で講演「私は生きたい!」を行いました。
貴重なお休みの日、有料での講演(熊本チャリティー講演のため寄付)ということもあり、
どのくらいの方に来ていただけるのか・・・不安でしたが・・・

主催者の迫田先生をはじめ、広島県外からの参加者もあり、
多くの方々にご参加いただき、本当にどうもありがとうございました。
4時半から6時までの予定だったのですが、私が勘違いをして、
6時半まで話をしてしまいましたが・・・
最後まで聴いていただき、またその後も意見交換などに残ってくださり、とてもうれしかったです。

意見交換の場では、もっと多くの方とお話しできればよかったのですが・・・
お話ができなかった方、ごめんなさい・・・
もしよろしければ、メールなどでもいいですから、ご連絡いただければうれしいです。

皆さんの感想で、一番うれしい言葉は、
「いろいろ考えさせられました」
という言葉。

私も、みなさんに、いろいろ考えてほしいので、
そう言ってもらえると、ほんとにうれしいです。

自死遺族と言っても、立場や状況も人それぞれ。
それでも、自死遺族の方にもそう言ってもらえると、
ほんとにうれしかったです。
「先生の話を聴いてよかった・・・」
きっと、私の体験談は、聴くのもつらかったでしょうに・・・

自死遺族ではない方にも、
「いろいろ考えさせられました」
「来てよかった・・・」
「何かきっかけがほしかった・・・」
などなど。
私の講演を聴いて、何かを考えるきっかけになれたのなら、ほんとにうれしい・・・

もちろん、自死問題や自死遺族支援についても考えてほしい。
でも、まずは、自分の問題と結びつけて、いろいろ考えてほしい。
自分の問題と結びつけて考えることが大切だから。
そう、自死は、自分や家族、誰にでも起こることだから・・・

絶対に自死しないと言える人はいない。
私の主人は、強くて頑張り屋さんで、自死するなんて考えたことはなかった。
私も、今こうして弁護士として多くの事件で戦っているが、
手首に包丁を当てたことがある・・・

自死は、その人の資質の問題ではない、
自死に至るほど、追い詰められるほどの理由がある。
どんなに強くても、人は、追い詰められれば、自死してしまう可能性がある。

「同じ職場で、○○さんだけが死んだんだから、会社に責任はない」
などと言う人がいる。
なるほど、長時間労働をしても、自死する人としない人がいる。
だから、自死する人に問題があると考えてしまうの???
それは、違う。
自死する人に問題があるのではなく、
自死しな人はギリギリのところで我慢しているだけだし、
自死する人がしない人よりもより多くのストレスにさらされていたから。
自死する人に問題があるんじゃない。
自死する人に問題があるというのは、
会社や周りの人が自分の責任から逃れるために使う言葉。

自死した人に何が起こったのか調査していくと、
その職場や学校でも何かしらの異変がある。
同じ職場の中で辞める人がいたりする。

「○○さんが自死したから、他の人も自死しそうだよ」
「ちゃんと調査して、環境を改善していこう」
そう考えてほしい。
そう考えてくれなければ、自死はなくならない。

幸い、今のところ、自死者は減少傾向にある。
でも、毎年2万人以上もの人が自死で亡くなっていて、
自死遺族はその倍以上も増えているはず。

先日の講演でも、どの講演でも、
「実は、私も自死遺族なんです」
と話をしてくれる遺族の方がいる。
きっと、自死遺族であると誰にも打ち明けないで生活している遺族は多い。

そして、今日もまた、私のもとに、自死遺族の方から相談が寄せられている。
「未だに納得がいきません」

自死遺族への説明責任も果たしてほしいと切に願う。

ねむの木と共に・・・

今日は、ある女の子を紹介させてください。

その女の子は、夢も希望もたくさん持っていました。
勉強を頑張って、大学、大学院を卒業して、やりたい仕事にも就きました。
そして、女の子は、来る日も来る日も、自分を頼ってくる人たちの力になろうと、懸命に仕事に励みました。

そんなある日、女の子に異変が生じます。
「疲れた・・・仕事に行きたくない・・・」

その女の子は、上司からのパワハラに悩み苦しみ、うつ病になりました・・・

それでも、女の子は・・・がんばり続けました・・・

「笑顔!
 笑顔!笑顔!
 たとえ体調が悪くても、笑顔でいよう!
 無理のない程度に。

 今日もうちのお花たちは笑顔!
 私も負けないようにがんばろ!」

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今、写真のねむの木は、ご両親の愛情を受け、すくすくと育っています。
でも、ねむの木と共にがんばり続けた女の子はもういない・・・

ねむの木は、夜になると、そっと葉を休ませます。
もう、ゆっくり休んでね・・・
ねむの木に包まれて、穏やかに・・・

みなさんには、ほんとに、よく考えてほしい・・・
周りの人を不用意に傷つけていないだろうかと、
もし傷つけたら、ちゃんと心から謝まってくださいね。

弱いから、傷つきやすいのではないですよ、
ひどいことを言ったりしなければ、傷つかないのですよ、
受け止める側の問題ではなく、する側の問題なのです。
受け止める側の問題にしたいのは、
する側が自分が悪いと認めたくないから、
する側が自分を正当化するために、
そう言っているのです。

女の子は、上司からパワハラを受けても、
「絶対負けない!」
と、ほんとにがんばったんです!
弱くなんかない、
たった一人で、何十倍もの力ある相手と戦って力尽きた・・・
ずっと笑顔を絶やさずに・・・

私は、その女の子を尊敬しています。

マニュアルの弊害

マニュアル・・・○○のためのマニュアル・・・マニュアルマニュアル、
巷に溢れている。
自死予防のためのゲートキーパーの相談対応マニュアル。
遺族に対する相談対応マニュアル。
マニュアルの中で、心構えの他、言ってはいけない言葉と言ってもよい言葉の例などが記載されている。
悪い例と良い例が記載されているものもある。
悪い例は、ほんとに悪い例。
良い例は、ほとんどこんなふうにうまくいかないだろうっていう例。
読んで、参考程度にはなるかもしれない。
でも、このマニュアルのとおりにすれば、それで大丈夫というものではない!

マニュアルが大切にされるのは、よくわかる。
誰だって、できればマニュアルがほしいと思う。
新人や経験の少ない人にとっては、マニュアルは必要だろうとも思う。
でも、よく考えてほしい。
マニュアルは、一体誰のためのもの?
相談者のため?それとも相談員のため???
マニュアルは、誤った相談対応で相談者が余計に苦しむのを防ぎ、適切な対応をするためのものであるから、相談者のためのもの?
それとも、マニュアル通りにしていればいいのだから、相談員のためのもの?
本来であれば、相談者のためであり、相談員のためであるはず。
でも、私からすれば、相談員のためのマニュアルになっている気がしてならない。
少なくとも、マニュアルを使って対応するのは相談員。
相談員が、マニュアル通りにすればいいと思って使えば、マニュアルは百害あって一利なし。

ある遺族の悲痛な訴え。
「先生、最近は、私にがんばれと言う人はいないけど、私に、亡くなった娘の分まで生きなさいっていう人は多い。そんなマニュアルがあるのかって思うくらい・・・」
この方は、まだ未成年の娘さんを亡くされた方。
「私が、娘の分まで生きれるわけないじゃない」
「一体、私はいつまで生きていたら、娘のところに行けるの?」
「こんなに苦しいのに、一体いつまで生きなきゃいけないの?」
「教えて、先生・・・」
私のもとに相談に来られる遺族の方は、マニュアルでは対応できない。
返す言葉が見つからないことも多い。
「ごめんなさい・・・私にもわからない・・・」
返す言葉が見つからず、こう答えることもある。
きっと、私の言葉はマニュアルにない言葉だし、私の中にもマニュアルはない。
真剣に話を聴いて、真剣に考えて、真剣に言葉を返す。
それが、私のすべきこと。

「先生、もう(亡くなった)妻のもとに行きたい」と言われる遺族の方。
「まだ行かないで・・・お願いだから」と懸命に止めようとする私。
どうしたら、力になれるのか・・・悩みながら、何とかしたいと考える。
もっと話を聴いて、何とかしたい。
できる限りのことはしたい。

マニュアルなんて、ない。
その場限りの対応で、何とかなるものではない。
表面を着飾ったところで、そんなもの、すぐにわかってしまう。

大切なことは、どれだけ真剣に向き合えるのか、である。

それなのに、「マニュアル通りこう言っておけば大丈夫」というようにマニュアルが使われるのならば、マニュアルなんてない方がいい!
マニュアルは参考にするのはいいけれど、マニュアル通りにすればいいってものではない。
それなのに・・・
マニュアルが、一人歩きをし、相談者を傷つけている。

ある人がこう教えてくれた。
私の娘は、「絶対公務員にはならない!」「これ以上はするな、こうしてればそれでいい、他の人と同じようにしろ、とか・・・全然相談者のためになってない!おかしいよ」って言っていたと。
本当に、そのとおり!
一人ひとり、対応は異なる。そんなの当たり前。一人ひとり、悩みも考え方も違うのだから。
他の人と同じようにできはしない。
こうしていればすむ話でもない。
そう、相談対応に、本来マニュアルなんてものはない。
マニュアルに頼ってはいけない。
マニュアル通りにすれば、かえって相談者を傷つける。
なのに、マニュアルに頼りすぎている、相談現場。

マニュアル・・・マニュアル・・・マニュアル・・・
マニュアルで対応できないのに、それでもマニュアルに頼り、相談者を傷つける。

すでに傷つきボロボロの状態の相談者には、表面的な対応かどうかすぐにわかる。
この人は信頼できる人かどうか・・・
すがりつくような思いであなたを見ているから。

娘さんのように、気づいてほしい。
大切なことは、マニュアルじゃない、
相談者と真剣に向き合う、その心だと!
だから、その人のためにどうしたらいいのかと真剣に悩み、必要に応じて、今までとは違う対応もする。

すべては、目の前にいる相談者のために。

もっと、よく相談者を見て、
相談者のために、考えて。
そう、切に願う。

思いは伝わる

3月は、自死に関する講演を2回させていただきました。
自死の問題に関心を持ってくださる方、支援してくださる方がいて、初めてできる講演。

ああ、一人じゃない・・・
こんなに、自死の問題に心を寄せてくれる人がいる・・・
本当にありがとう・・・

私の講演には、いつも、自死遺族の方々が聴きに来てくれる。
そして、最後に、私のところに、あいさつに来てくれる人もいる。
そう、きっと、大きな大きな勇気を振り絞って・・・

今回も、多くの自死遺族の方と話ができました。
「先生に会いたかった・・・」
「先生もつらいのに・・・よく話してくれました、ありがとうございます・・・」
「先生の講演を聞いて、私も、当時のことを思い出し、自分のことのように思って聴いていました・・・」
そんな言葉を聞くと、いつも熱いものがこみ上げてくる・・・
私に、力を運んでくれる。

ああ、がんばらなくては!

そして、支援する方からも、話しかけられる。
自死の問題、自死遺族の支援にも関心を寄せてくださるだけで、
私としては、とてもうれしい。心からの感謝。
でも、できれば、もっと関心を抱いて、もっと関わってほしい。
もっともっと、つい力が入ってしまう私。

そんな私に、支援する側の人がよく聞いてくる質問がある。

自死遺族の人を傷つけないようにするには、どうしたらいいですか

この質問は、講演の度に必ずと言っていいほど聞かれる質問。
この質問をしたい気持ちもよくわかる。
自死遺族の方を傷つけたくないからこその質問だから。
でもね・・・
私は、いつもこう答えている。

「自死遺族の人を傷つけない人はいないと思います。
自死遺族の私も、他の自死遺族の方を傷つけてしまうことはあると思っています。
それは、自死遺族の方はそれぞれ考えや状況も違うし、
感じ方が人それぞれですから、傷つけないようにしても、
傷つけてしまうことがあるからです。
 ただ、思いは伝わります。
 自死遺族の方を真剣に思う気持ち、それは伝わります
 その真剣な思いで、自死遺族の方に声をかけてください。

そう・・・自死遺族を傷つけなくて済む、そんなマニュアルなんてない・・・
自死遺族の方の多くは、十分すぎるほどに傷ついているから、人の言葉や表情に敏感になっていることが多い。
傷つきやすい人もいる。

小手先ですむ支援なら、むしろしないでほしい。
きっと、そんな支援は、自死遺族を傷つけるだけだから・・・

思いが一番大切。
その人を心から思う気持ちは伝わる。
だから、自死遺族の方と向き合うときは、真剣に。
どんな言葉をかけようかと悩み、
傷つけないようにどうしたらいいのか悩んで、
それから、かけた言葉や行動ならば、
たとえ、自死遺族の人を傷つけることになったとしても、
自死遺族の人の傷は大きく広がることはない。
そう、あなたのその思いは伝わるから。
あなたがその遺族の方を思う気持ちが本物であるなら、
いつか、あなたを信頼する時が来るはず。

私は、いつも心をさらけ出して、自死遺族の方と向き合うようにしている。

どうか、自死の問題に携わる方々、自死遺族の支援に尽力してくださる方々には、
自分のその思いを大切に、真剣に自死遺族の方と向き合ってほしい。
それが、自死遺族の方のためになるのだから。