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あたたかいつながり
私まで、あたたかい気持ちになりました・・・
彼女に、心からありがとうと言いたいです。
先日、自死遺族の方々が主催したシンポジウムに参加し、そのシンポジウムが終わったときのことです。
ある遺族の方が、私に、そっと近づくと、
「佃さん、ここのお団子はおいしいので、ご家族でぜひ食べてください。甘いものが苦手な私でも、ここのお団子はおいしくて・・・佃さんに食べてもらいたくて・・・」と言って、私に、菓子箱を手渡した。
「私に?わざわざ?」
ああ、彼女は、私が今日ここに来ると信じてくれたんだ・・・
私を信じて、わざわざお団子を買ってくれていたんだ・・・
そう思ったら、涙が溢れそうになった。
だって、私は、今日来るよとは約束したけど、それはもう2か月以上も前の話。
その後、今日のシンポへの参加については、彼女に連絡しないままだったのに、彼女は私が来ると信じてくれていた。
そのことが、私には、本当にうれしかった。
実は、その前日、私は広島でのシンポジウムに参加し疲れていたのだが、彼女との約束を守るために、島根まで出かけた。
彼女とは、昨年の冬、分かち合いの会で出会い、知り会った。
彼女は、シンポジウムの中で、自分自身の体験や思いを語ることに不安を感じ、どうすべきか悩んでいた。
彼女とはたった1時間くらいしか話せなかったが、私は、同じように悩んだ自分と重ね合わせ、彼女の力になりたいと思った。
でも、私にできることといえば、彼女を見守ることしかない。
そこで、私は彼女に、「あなたが語るところを必ず見に行くね」と言った。
そう、それだけの約束、でも私にも彼女にも大切な約束。
そして、私は、彼女が語ってくれると信じ、彼女もまた、私が来てくれると信じてくれていた。
彼女とのつながりは、互いに信じあえるつながり・・・心があたたかくなるつながりである。
こんなつながりが増えていくといいな・・・
自死遺族の方は、どうか相談してください
3月7日、広島弁護士会主催の自死遺族支援のシンポジウムを無事に終えることができました。
たくさんの方にご来場いただき、本当にどうもありがとうございました!
皆さん一人一人がいろいろ考えてくださること、それが一番大切なことです。
自死の予防については、皆さんの関心も高いのですが、自死遺族支援となると、なかなか関心は高くはありません・・・
自死遺族は、自分が自死遺族であるとなかなか打ち明けられないので、なかなかその現状が伝わらないところがあります。
そっとしておいてほしい・・・
そう思う自死遺族も少なくはないと思っています。
でも、自死遺族が直面する法律問題は、実はたくさんあります。
自死した人が賃貸マンションで亡くなれば大家さんから損害賠償請求されるので、相続すべきか相続を放棄すべきかも考える必要があります。
また、大切な生命保険も支払われないことがあります。
自死の原因として、仕事の過労やいじめがあるなら、労災申請や損害賠償請求をすることもできます。
だから、自死遺族の方は、できるだけ早く弁護士に相談してほしいと思います。
最近は、いろんな無料の法律相談もありますし、私に直接電話やメールしてくれてもかまいません。自死遺族の方に降りかかる問題が何かわからなくても、一緒に整理し、何からしなければならないのかアドバイスします。
悩みは一人で抱えないで・・・
私も一緒に背負いますから・・・
どうか勇気を出して連絡ください。
引き続き、無料の法律相談の情報などアップするようにします。
どうか誰かに相談をしてください。
それが、私の願いです。
スパム対策
今日は、コメント20件待ちになっていて、すご~い!と思ってみてみたら・・・英語だったり、リンク貼り付けだったり・・・スパムでした・・・
いろいろスパム対策について調べてみると、皆さん苦労しているんだな~と思いました。私も早速スパム対策をやってみましたが、うまく対処できるかどうか・・・。ネットの世界はいろいろ危険もありますよね、ウィルスもありますし・・・
でも、ネットで自分の意見を発信できるのは大きな魅力です!というわけで、ウィルスやスパム対策を行いながら、サイト更新がんばります!
新年のあいさつ
新年あけまして、おめでとうございます!
この言葉を言うことに抵抗がないわけではないけど、
普通に生きたいから、やっぱりこうして精一杯生きて新年を迎えることには感謝したいし、新しい年を祝いたいから、やっぱりおめでとうって言いたいです。
自死遺族だからって、何か負い目を感じる必要なんてないはず・・・
自責の念は消えないけど、生きることに苦しさを感じるときもあるけど、
でもやっぱり、私は前を向いて歩いていきたい。
自死遺族だけど、私は私!
私なりに頑張りたい!!!
自死遺族だからこその問題はあるけど、日常生活はできるだけ普通に暮らしたい。
私は、夫の分も精一杯生きるのだから。
昨年を振り返ってみて思うことー
まずは、自殺と自死という言葉について。
自殺や自死という言葉について、いろんな意見があることを知った。
どの意見も間違いだとは思わない。
その人がその人なりに一生懸命考えて出した意見や結論なら、尊重したい。
大切なのは、自死について理解が深まり、みんなが自死の防止について一生懸命考えることなんだから、個人の結論はそれぞれで構わない。
ただ、行政には言いたい。「あえて、自殺という言葉を使う必要がありますか?」
自殺という言葉は認知度が高く、自死という言葉は認知度が低いことは百も承知。
だからといって、自死の防止活動に、あえて自殺という言葉を使わなければならない必要があるのだろうか。
そもそも、「自死=追い込まれた末の死」ということが本当に分かっているのだろうか。
自死の防止活動には、安易なスローガンなどほとんど役に立たない。
自死の防止活動に大切なことは、自死する人が生きたいのに死ななければならないような状況に追い込まれていることを理解し、その状況を取り除くこと、できれば、そのような状況を作り出さないこと!
過労やいじめによる自死などは、まさにその人を取り巻く状況に問題がある。
その状況を作り出さないようにすることが本当は大切なのである。
なぜ自死は起こるのか、
そこを正しく理解することから始めてほしい。
また、自殺という言葉には、「自殺は弱い人がするものだ」「自殺は個人の問題だ」という間違った理解が伴っていることが多い。
そう考えると、自死の正しい理解と支援を得るために、認知度が高いというだけで自殺という言葉が必要な理由などないはず。
むしろ、自死という言葉に置き換えることを契機として、自死に対する正しい理解を広めていってほしいと思う。
なお、自死という言葉に置き換えたら、自死しやすくなるのではないかというが、これは大きな誤解だと私は思う。
自死はそんな簡単な状況では起こらない。
自死する人は生きたいのに自死してしまうほど、追い込まれているのだ。
切羽詰まった状況なのだ。
家族や友人たちの生きてほしいという願いさえも届かないのに、そんな「自殺」という言葉の置き換えで変わるようなものではないはず。
私は、根拠のない意見だと思っている。
そして、何よりも自死遺族に対する配慮を考えれば、行政は自死という言葉を使うべきだと思う。
なぜなら、人に対する配慮が満ち溢れた社会であれば、
自死する人を追い込む状況は起こらないのだから、自死の防止活動に携わる行政は、人に対する配慮を大切にすべきだと考えるからだ。
そして、行政による自死の防止活動も、もう死ぬしかないと思っている人の救出だけではなく、そもそもそんな人を作り出さないようにする方法や対策も考えるべきだと思う。
人権教育の推進、そして労働環境や学校環境の改善なども考えてもらいたい。
と、この一年いろいろ考えてきたことを書き連ねてみました。
「自死を語れる社会に」という私の願いは、まずは、自死に対する正しい理解を深めることから始めなくてはならないようです。
私は、自死遺族であると同時に、基本的人権を尊重し擁護する弁護士でもあるのだから、本業に励みつつ、自死遺族に対する支援活動や自死の防止活動も頑張るつもりです!
どうか今年もよろしくお願いいたします。
学習発表会を見て
昨日は、長女と次女の学習発表会が小学校でありました。
日曜日ということもあり、すごい人でした~お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんまで~立ち見が出るほどのすごい人だかり~広い体育館が狭く感じたほどでした!
実は、私、子どもたちのこういう舞台、見ると涙が出てしまうんです・・・
頑張っている子どもたちの姿に感動し、そのうえ、パパが生きていれば・・・
と思うと、もう涙があふれてしまいます・・・
だから、いつも、できるだけ一人で、見るようにしています。
だって、泣いている姿を見られるのは、恥ずかしいから・・・
あ、きっと、これを見た祐子ママは、「いいじゃん、泣いたって・・・」と言いそうな気がするけど・・・(笑)
でも、子ども亡くした遺族の方は・・・
悲しみを抱いている人に、できるだけ優しく接することのできる社会になるといいのだけど・・・
私は、私のできることから始めるしかないと思っています。