高知市での講演を終えて

先週の10月17日に行われた講演には、本当にたくさんの方が聴きに来てくださり、ありがとうございました。

講演の前には、「今日こそ、泣くまい」と思って講演に向かうのですが・・・
夫の話をするとなると・・・
そのときの状況が頭に思い浮かび、熱いものが込み上げてきて・・・
そのうえ、他にもいろんな理由から自死した方、その遺族の方々のことが思い浮かび、涙が止まらなくなります・・・

自分の体験を話すのもつらいけど、他の遺族の方の心の内を思うと・・・

高知市での講演でも、また自死遺族の方とお会いすることができました。
その方は、勇気をもって、私に話しかけてくれました。ほんとにありがとうございました。
その方も、突然夫を亡くされ、子どもを育てるために懸命に働いてこられたとのこと・・・
涙目で話されるのですが、どこか懸命に生きてこられた証のようなものが宿る顔に、「きっとがんばってこれらたんだろうな・・・」と思いました。

私も、そんな顔になれるかな・・・うん、私なりに、がんばって生きていこう。

今回の講演会の主催者は、「高知うろこの会」といって、これまで消費者金融の借金で苦しむ人のために、クレジットサラ金業者と闘ってきてくれた団体。
私が、のほほんと主婦していたころ、この方たちは、不当に高い利息で返済に苦しむ人たちのために、勇気を出して戦っていたのです。
そして、見事に運動を成し遂げたすごい方々。
でも、私は勉強するまで何も知りませんでした・・・ごめんなさい・・・

そして、何よりもうれしいのは・・・
この方々は、今も、生活に苦しむ人のために、何かできることはないかと考え、自死予防や自死遺族の支援にも協力してくれています。
クレサラの被害者の中には、自死未遂の経験者も多いと聞きます。
一人一人の命を大切に・・・
今の自分たちでできることは何かを考え、できることをしようとしてくれています。
本当にありがとうございます。
活動は、精神的にも経済的にも大変だと思いますが、引き続き、どうかよろしくお願いいたします。

自死は、その人が弱いからという理由だけで、起きることはありません。
というか、私の夫は決して弱い人ではなかったので、その人の「弱さ」から自死したんだというようなことを言われると、違うと叫びたくなります。
私だって、自死未遂者、この私も弱い人だというのでしょうか。

自死する人には、自死してしまうような理由が必ずあります。
その自死の理由も、よくみていけば、労働問題など社会の問題だと気付くことが多いのです。
それなのに、国の自死予防対策は、まるで精神科にかかれば大丈夫というような内容・・・
自死した人の約70%以上はすでに精神科などの病院にかかっているのです。
精神科医に通っても自死してしまうくらい、すでに精神状態はボロボロなのです!

どうして、自死する人がそこまで精神状態がボロボロになってしまったのか、どうしたらいいのか、そういう考えはないのでしょうか。

自死を防止するためには、皆さんがゲートキーパーになって、自死の危険のある人に気づき見守ることも大切です。
しかし、これは、水際での対策、対処の仕方でしかありません。
そもそも自死の原因となっている社会の問題にも目を向け、どうしていくべきか考えることも大切なことです。こうした社会の問題に目を向け、自死する危険性を少なくするという考え方が必要だと私は思います。

講演の最後にも言いましたが、自死について、「あなたなら、どう考えますか?」

今度は、秋田市内で、「自死遺族の支援」についての講演を行います。
私は、ここでも、一人の自死遺族として、また弁護士として、私の考えを述べたいと思っています。
また、秋田市内の講演もHPで案内しますので、よかったら聴きに来てくださいね。

心を込めて、お話させていただきますので!

ちょっと考えてみて

ちょっと考えてみてください。

少し配慮してくれるだけでいい。

子を亡くした親に対し、子どもの写真や動画を見せたら、どう思うか少し考えてください。

ちょっとした気遣いはとても大切・・・

そういう私も、適切な気遣いができているかと聞かれたら、自信はないけれど・・・
でも、どうかなと思ったら、話すことも考える。

もし、相手を傷つけてしまったかなと思ったら、ごめんなさいと心から謝る。

傷つけないことがベストだけど、私だって、きっと人を傷つけることはあるはず・・・
今傷つけてしまったかなと思ったら、謝るしかない・・・本当に申し訳ないけれど・・・
そして、もう同じことはしないようにする。

それだけでも、人をできるだけ傷つけなくてすむと思う。

私は、自分がこんなことになるまで、たしかに、配慮が足りない人間だった・・・
子どもがなかなかできない友達に、子どもの写真入りの年賀状を送る。その人の状況をよく考えもせず、無邪気に話す。相手の気持ちを考えることなく、配慮なども考えることがほとんどなかった・・・

だから、私は、夫を亡くした時に、ある人(私より数か月前に夫を亡くしていた人)から、

「私の気持ちがよくわかったでしょ」

と言われる羽目に・・・そのときは、返す言葉もなかった・・・
今思えば、その人は、そう言わざるを得ないくらい、私に傷つけられたのだろうと思う。
あなたを傷つけていたことに、気づかなかった・・・
本当にごめんなさい。

誰だって人を傷つけたくないはず。
でも、知らず知らずのうちに、人を傷つけてしまう。

傷つけられる方は、知らず知らずに何度も傷つけられるわけだから、耐えられないほどに傷つく・・・

知らないって、本当は一番怖いことなのかもしれない。

私も、まだまだ知らないことが多い。

これからも少しずついろんなことを学んでいきたい。

みんな生きたい!

誰だって、死にたくない

生きていたい・・・

私の夫もそう思っていたはずだ
だって、死にたくないと思っていたからこそ、あの気丈な夫はベッドの中で震えていたのだ・・・
きっと死にたくないと思い、たった一人で死の恐怖と闘っていた・・・
どんなに怖くてつらかっただろうか・・・

きっと、何かがあって、生きる力を失ってしまう・・・
その原因は、人それぞれ、きっと十人十色
人は強く見えても、弱いところがある
死が怖いはずなのに、「もう、死ぬしかない」と思ってしまう
それほどに追いつめられていたのだ
それほどまでに苦しんでいたんだ・・・

そう思うからこそ、遺族は苦しみ、後悔する

愛するあの人は、きっと生きたかったはず・・・
それなのに、私たちは、生きたいと願うあの人を助けてあげられなかった・・・
あの人の苦しみをわかってあげられなかった・・・
一番、愛してやまない人なのに・・・
でも、もう戻らない・・・
せめて、あの人に何があったのか知りたい
なぜ、こんなことになったのか知りたい

そう思う遺族の人は多い

どうか、「自死する人の命がほしい」なんて言わないで・・・

自死した人も、生きたかった・・・死にたくはなかったの・・・
あなたと同じように、生きたかったの
でも、生きる気力を奪われてしまった
そんなことがなければ、今も生きていた
まだ生きたかったんだよ

kanaさんも言っているように、遺族は私たちで終わりにしてほしい
もうこれ以上、自死させないで
悲しみを増やさないで
自死した人を責めないで

もっと、その原因を調査して、原因を取り除く努力をしなければならないはず

おかしいと思う感覚

自殺対策を推進する議員の会が、自殺対策基本法の改正に関する意見募集をしているようです。

今日が締切り・・・
http://www.suicidepreventiongiren.com/#!——/c24vq

いろんな意見を広く聴いていただいて、いろいろ考え検討してほしいと思います。

でも、こんなところにパブコメがあるってある人から聞かなかったら、知らなかったな・・・
そんな議員の会があることさえも・・・
遺族のために本気で考えてくれているのだろうか。

いやいや、こういう議員の会があって、パブコメを募集してくれるだけでもありがたいと思うべきなのかな。
う~ん・・・たしかに、ないよりかはあった方がいい。
でも、ちゃんと遺族からの意見、聴いてくれるかな・・・
そもそも、ここでも「自殺対策」という記載で、「自死対策」とはしてくれていないし・・・
言葉の表記を見ただけで、遺族への関心の低さが窺われるような・・・

だって、少なくとも、遺族や支援者の多くの方々が、「自死」という言葉をできるだけ使ってくれるし、
牧師さん、臨床心理士さん、私の知り合いの弁護士さん、私の知り合いも、

「遺族の方を傷つけるなら、自死という言葉を使うよ」

と、自然に当たり前のように言ってくれる。
それだけでうれしいし、気遣いを感じる。
言葉って大切ですよね。

そう思っている私からすれば、「自殺対策」という言葉を見ただけで、う~んと考えてしまう。
いろいろ意見を書こうかと考えたけど、言葉のことを説明するだけでも骨が折れそうな感じがする。
議員さんよりも、一般の人の方がわかってくれそうって思う。
だって、傷つくことはしたくないって素直に思ってくれるから。

「自殺」と「自死」の言葉の論争って、難しく考えれば考えるほど、よくわからなくなる。
シンプルに考えるのが一番!

弁護士の仕事をしていると、なんだか複雑な考えをして、自分で自分をより苦しめている人に出会うことがあるけど、
「あなたはどうしたいの?」
って聞くと、意外とすっきりと解決の糸口が見えてくる。

本来、弁護士は、複雑な問題を整理し、解きほぐし、よりよい解決を目指すための代理人。
物事をより複雑化してはいけないはず。

私も、本音を言うなら、「自死」という言葉さえ好きじゃない・・・

うつ病という病にかかり、病のせいで自死しただけなのに、なぜ普通の死ではないように言われなければならないの?

いじめられて殴られて病院で亡くなった人と、
いじめられてうつ状態になり首を吊った人と、一体何が違うの?

仕事が過重で心筋梗塞で亡くなった人と、
仕事が過重でうつ状態になり列車に飛び込んだ人と、一体何が違うの?

手段が違うだけ・・・
死に至る原因は同じだし、
本人の苦しみに優劣の差なんてない。

なのに、自死遺族だけが、首吊りの場所の家主さんから、鉄道会社から損害賠償請求される。
そんなのおかしい。

法的には、心理的瑕疵に基づく損害賠償請求ということになるけど、
なぜ、自死という手段が入ると、心理的瑕疵が生じるの?
ちゃんと考えたら、おかしいと思うべき!
こういう問題が、自死遺族には多い。

もっといろんな人にこの問題を知ってもらって、何かおかしいという感覚を持ってほしい。
それが私の願い。
そのためには、私ももっとこの問題を広く訴えていかないといけない・・・

よりわかりやすく、説明したいな。
いろんな人に知ってもらって、いろいろ感じて考えてもらうために。
そして、おかしいと感じたことをぜひ教えてほしい。

弁護士とか議員とか専門家よりも、きっとあなたのその感じ方の方が自然な気がするから。

自殺と自死

皆さんは、「自死」という言葉を知っていますか?

このブログを読んでくれている人は、多分知っている人がほとんどだと思います。
でも、一般の人は知らない人が多いですよね。

私も、「自死」という言葉を知ったのは、弁護士になってから・・・
自死遺族という言葉はもう少し早くに知っていましたが・・・
ずっと長い間、遺族の私でさえ、「自殺」という言葉しか知りませんでした。

最初、「自死」という言葉を知ったとき、「殺」という言葉がないので、純粋に「自死」という言葉の方がいいなと思いました。
でも、「自殺」と「自死」という言葉をめぐって、いろんな意見があると知り、どちらがいいとはなかなか判断できずに来ました。

でも、今は、
少なくとも「自死」という言葉を使おう!
と思っています。

いや、本音を言うと、「自死」という言葉を使うのさえ、避けたい。
自死した人は、がんばってがばんばって、でもどうしようもなくて死んでしまった・・・
病死と何が違う?特別な言葉を使わなくてはいけない?

そう思ったので、私は、自死遺族の方と話すときは、できるだけ「自死」という言葉を使わず、普通の死とわけ隔てないように、「亡くなられた原因にお心当たりはありますか」などと話すことにしよう!

そう思っています。

たしかに、言葉を変えただけでは、「自死」をめぐる偏見などの問題が解消することはないと思います。
でも、「自死」についての理解を広めることにはつながるとは思うのです。

そして、何よりも大切なことは、自死遺族の方への配慮になるということです。
言葉は、相手に事柄や思いなどを伝えるための手段であり、言葉には人に対する配慮が込められていると思うのです。
 日本語には、敬語があり、人に対する配慮が込められています。
人への配慮、言葉を使う上で、とても大切なことではないでしょうか。

「自殺」と「自死」という言葉をめぐって、様々な意見の相違があります。議論があります。

でも、どんなことを主張したとしても、
自死遺族の方への配慮から「自死」を使う
この考えに、真っ向から反対することはできるのでしょうか。

そして、自死は、なぜ起きてしまうのでしょうか。

よく考えて、もっとよく考えて、「自殺」と「自死」の言葉について考えてほしいと思います。