自殺と自死

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皆さんは、「自死」という言葉を知っていますか?

このブログを読んでくれている人は、多分知っている人がほとんどだと思います。
でも、一般の人は知らない人が多いですよね。

私も、「自死」という言葉を知ったのは、弁護士になってから・・・
自死遺族という言葉はもう少し早くに知っていましたが・・・
ずっと長い間、遺族の私でさえ、「自殺」という言葉しか知りませんでした。

最初、「自死」という言葉を知ったとき、「殺」という言葉がないので、純粋に「自死」という言葉の方がいいなと思いました。
でも、「自殺」と「自死」という言葉をめぐって、いろんな意見があると知り、どちらがいいとはなかなか判断できずに来ました。

でも、今は、
少なくとも「自死」という言葉を使おう!
と思っています。

いや、本音を言うと、「自死」という言葉を使うのさえ、避けたい。
自死した人は、がんばってがばんばって、でもどうしようもなくて死んでしまった・・・
病死と何が違う?特別な言葉を使わなくてはいけない?

そう思ったので、私は、自死遺族の方と話すときは、できるだけ「自死」という言葉を使わず、普通の死とわけ隔てないように、「亡くなられた原因にお心当たりはありますか」などと話すことにしよう!

そう思っています。

たしかに、言葉を変えただけでは、「自死」をめぐる偏見などの問題が解消することはないと思います。
でも、「自死」についての理解を広めることにはつながるとは思うのです。

そして、何よりも大切なことは、自死遺族の方への配慮になるということです。
言葉は、相手に事柄や思いなどを伝えるための手段であり、言葉には人に対する配慮が込められていると思うのです。
 日本語には、敬語があり、人に対する配慮が込められています。
人への配慮、言葉を使う上で、とても大切なことではないでしょうか。

「自殺」と「自死」という言葉をめぐって、様々な意見の相違があります。議論があります。

でも、どんなことを主張したとしても、
自死遺族の方への配慮から「自死」を使う
この考えに、真っ向から反対することはできるのでしょうか。

そして、自死は、なぜ起きてしまうのでしょうか。

よく考えて、もっとよく考えて、「自殺」と「自死」の言葉について考えてほしいと思います。

自殺と自死」への2件のフィードバック

  1. 佃先生へ 自死と言う言葉を私は知りませんでした。死ぬほど苦しんでいた事に気づかなかった私は自分が殺したんではないかと思っています。我が子が自ら命を絶った、一生懸命努力して人の為に生きた優しい子。でも世の中はその子が自死だとわかると偏見の目で見る。だから信頼できる人にしか語れない。誰も死にたい人などいない。小学生のころに書いた、「広がる夢」「未来」と書かれた書がある。純粋すぎて真っ直ぐだった愛する我が子。夢や希望があった。亡くなってからも傷つける人がいるとすれば誰であっても母として私は許さない。こんなコメントを書いて先生ごめんなさい。

    • 亡くなってからも傷つける人がいるとすれば誰であっても母として私は許さない
      同じ言葉、ある遺族の方からも聞きました・・・きっと、それは多くの遺族の思いなのだと思います。
      ありのままの思いなのですから・・・封じ込めないで。
      むしろ、kanaさんの場合、自分を責めすぎるから・・・心配でたまりません。

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