7月9日土曜日、広島市で講演「私は生きたい!」を行いました。
貴重なお休みの日、有料での講演(熊本チャリティー講演のため寄付)ということもあり、
どのくらいの方に来ていただけるのか・・・不安でしたが・・・
主催者の迫田先生をはじめ、広島県外からの参加者もあり、
多くの方々にご参加いただき、本当にどうもありがとうございました。
4時半から6時までの予定だったのですが、私が勘違いをして、
6時半まで話をしてしまいましたが・・・
最後まで聴いていただき、またその後も意見交換などに残ってくださり、とてもうれしかったです。
意見交換の場では、もっと多くの方とお話しできればよかったのですが・・・
お話ができなかった方、ごめんなさい・・・
もしよろしければ、メールなどでもいいですから、ご連絡いただければうれしいです。
皆さんの感想で、一番うれしい言葉は、
「いろいろ考えさせられました」
という言葉。
私も、みなさんに、いろいろ考えてほしいので、
そう言ってもらえると、ほんとにうれしいです。
自死遺族と言っても、立場や状況も人それぞれ。
それでも、自死遺族の方にもそう言ってもらえると、
ほんとにうれしかったです。
「先生の話を聴いてよかった・・・」
きっと、私の体験談は、聴くのもつらかったでしょうに・・・
自死遺族ではない方にも、
「いろいろ考えさせられました」
「来てよかった・・・」
「何かきっかけがほしかった・・・」
などなど。
私の講演を聴いて、何かを考えるきっかけになれたのなら、ほんとにうれしい・・・
もちろん、自死問題や自死遺族支援についても考えてほしい。
でも、まずは、自分の問題と結びつけて、いろいろ考えてほしい。
自分の問題と結びつけて考えることが大切だから。
そう、自死は、自分や家族、誰にでも起こることだから・・・
絶対に自死しないと言える人はいない。
私の主人は、強くて頑張り屋さんで、自死するなんて考えたことはなかった。
私も、今こうして弁護士として多くの事件で戦っているが、
手首に包丁を当てたことがある・・・
自死は、その人の資質の問題ではない、
自死に至るほど、追い詰められるほどの理由がある。
どんなに強くても、人は、追い詰められれば、自死してしまう可能性がある。
「同じ職場で、○○さんだけが死んだんだから、会社に責任はない」
などと言う人がいる。
なるほど、長時間労働をしても、自死する人としない人がいる。
だから、自死する人に問題があると考えてしまうの???
それは、違う。
自死する人に問題があるのではなく、
自死しな人はギリギリのところで我慢しているだけだし、
自死する人がしない人よりもより多くのストレスにさらされていたから。
自死する人に問題があるんじゃない。
自死する人に問題があるというのは、
会社や周りの人が自分の責任から逃れるために使う言葉。
自死した人に何が起こったのか調査していくと、
その職場や学校でも何かしらの異変がある。
同じ職場の中で辞める人がいたりする。
「○○さんが自死したから、他の人も自死しそうだよ」
「ちゃんと調査して、環境を改善していこう」
そう考えてほしい。
そう考えてくれなければ、自死はなくならない。
幸い、今のところ、自死者は減少傾向にある。
でも、毎年2万人以上もの人が自死で亡くなっていて、
自死遺族はその倍以上も増えているはず。
先日の講演でも、どの講演でも、
「実は、私も自死遺族なんです」
と話をしてくれる遺族の方がいる。
きっと、自死遺族であると誰にも打ち明けないで生活している遺族は多い。
そして、今日もまた、私のもとに、自死遺族の方から相談が寄せられている。
「未だに納得がいきません」
自死遺族への説明責任も果たしてほしいと切に願う。