何のための調査なのか

私の手元には、ある自死遺族の方からお預かりした調査結果報告書がある。
ある学生の自死について、第三者委員会が調査した結果を報告書にまとめたもの。
ご遺族の方が読んでショックを受けた報告書である。

「これが調査結果の報告書?第三者調査委員会って何したの?」
と言いたくなった内容である。
心理の専門家の文献と思われるコピペまで付け加えて、今後の改善策についての方針が内容の約半分を占める・・・
自死の原因についての記載は少ないのに・・・
原因の分析は詳しくされないまま、今後の改善策について通り一遍のことが書かれている。
遺族が一番知りたいこと「自死の原因」については、ほとんど書かれてはいないのに。
さらに、その子の資質を問うかのような記載まで・・・
私でさえ、これをもう一度読むのは苦痛だ・・・
遺族の方の心情を思うと・・・やりきれない・・・

遺族が一番調べてほしいと願っていた個所は、あえて少ない記載にされたような気さえする。
遺族の「何があったのか知りたい」という切実な思いは届かなかった・・・

第三者調査委員会とは、文字通り、学校関係者以外の第三者で学識経験者又は弁護士・医師などの専門家で構成される調査委員会である。
私も弁護士。専門家による調査なのだからと、私は期待していた。
文科省の通達にも、遺族に対する説明など一定の配慮をするよう記載されている。
それなのに・・・
きちんと調査した結果であると記載されていても、その中身がない。
構成の仕方、書き方などにも配慮はない。
一方で、学校側が責任を追及されないような記載「不適当であったとまでは言えない」などの記載は多々ある。

ため息しか出ない・・・

近々、別の自死遺族の方についても、調査結果の中間報告書が出される予定だという。
どうか、自死遺族の方の「知りたい」という思いが届きますように・・・
今の私には祈るしかない。

調査委員会については、そもそも調査委員を遺族が選ぶということが想定されていない。
でも、遺族からすれば、熱意をもって調査してくれる人に調査委員をお願いしたい。
肩書よりも何よりも大切なこと。
調査委員の選任の仕方についても考えてほしいと思う。

そして、こういう報告書を見る度に思うことがある。

多くの人は、自死する人本人に問題があると考えているのではないか。

例えば、「あの人は、線が細かったからね・・・」「もともとストレスに弱いタイプだった・・・」「ちょっと弱いところがあったよね・・・」などという声がある一方で、「努力家」「まじめ」「我慢強い」「いい人」などという声もある。最近は、いろんな啓発活動により、前者のような言い方をする人は減ってきているのではないかと思う。そう思いたい。

では、後者の「努力家」「まじめ」「我慢強い」「いい人」などという評価には何の問題もないのだろうか。
私の夫も、裁判官で、まさにこのような評価が当てはまる人だと思っているし、講演活動の中でも、私はこういう人だと話をしている。我慢強いから、しんどいのに、がんばりすぎて(働きすぎて)、疲れ果てて心が病んでしまって、ついには自死してしまう・・・私もそう考えている。ここまではいい。

でも、もし、この考え方を使って、「我慢強い人だったから、自分で自分を追い込んだんだと思う」「まじめすぎて、言われた以上にしなければと思って余計に苦しんだのではないかと思う」などと、個人の内面に重点を置いて、自死の原因を分析するなら、それはどうかなと思う。
今回の報告書も、結局は、個人の内面に重点を置きすぎて分析をしているように感じる。
自死のほとんどは、外的な要因がないと起こらないのに・・・だって、それまでは普通に生きてきた人なのだから

私は法律家だ。自死の原因を考えるとき、まず、「一体、この人に何があったのか」ということ、つまり「どんな事実がこの人を自死に追い込んだのか」と考え、その事実を探求することに尽力する。起こった出来事を調査し、分析し、原因を追究しようとするのは、法律家として当然のことだ。
ところが、自死の原因を追究するのは難しい。本人は亡くなっているから、事情を本人から聞けないからだ。
そのせいか、心理の専門家が集う調査委員会などでは、自死の原因がよくわからないから、本人の内面の分析で済ませようという傾向に陥りがちになる。
正直、私にはその安易な方向が理解できない。

だって、今までずっとその人は生きてきたのだ。そんな人が、ある人突然、自分で命を絶ってしまう。
そこには、本人の内面の問題ではない、何かがきっとあるはず。だって、そうでなければ、その人は今までと同じようにずっと生きてきたはずなのだから。
あなたの身近な人がそうなったら、きっとあなたもそう思うはず・・・

誰だって、生きたい、生き続けたい。
でも、ある日、生きられなくなってしまう・・・「一体、何があったの?」
どうか、そこから考えてほしい。